旅人ハルキ

高校2年生の時に見た1本の映画をキッカケに家を飛び出し、ヒッチハイクで日本を一周。そのまま海外にも飛び出し自由気ままな放浪旅へ。

命をかけるということ

僕は基本的にすぐ命がけになってしまう。趣味で始めたことで命がけじゃないとすれば釣りぐらいなものだ。スキューバダイビングもスカイダイビングも登山も。一定のレベルを越えてくると常に死と隣り合わせになってしまう。なんでも極めるということはそうゆうことなのか。

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あるサーファーの友達から聞いた話。オーストラリアでサーフィンをしていた時、サーフィンの神様と呼ばれる人がいた。その人は誰も乗らないようなとても大きい波、ビッグウェーブに乗る。もちろんそれは死と隣り合わせ。一歩間違えば死ぬこともあるだろう。他のサーファーは皆、意を決して硬い表情でその波に挑む中、彼はボードを待って砂浜に立って、まるで子供のようにキラッキラした笑顔で、「今日は死ぬには持って来いの日だなぁ」と幸せそうに言い残して海に入っていくそうだ。

この話を聞いた時、何かすごく大切なことを教わった気がした。

僕の尊敬していた登山家の栗城史多さんは、エベレストで命を落とした。わからないが、もし栗城さんもエベレストを目の前にして、今日は死ぬには持って来いの日だ。と思えたことを願う。栗木さんは冒険の共有を死ぬ瞬間まで続けてくれた。全ての人が挑んでいる自分の壁を登る力を与え続けてくれた。そこに命を懸けることに納得していたなら、受け入れられます。でももしそこに命を懸けたいと思っていなかったなら、栗城さんはSNSに殺されたように見える。今、SNSで誰でも有名になれる。多くのイイネをもらってインフルエンサーを目指してる人も多い。注目されるために。評価を貰い有名になるために、どんどん過激な挑戦になっていくとても怖いことに思えた。

死ぬ時に、命をかける場面で、今日は死ぬには持って来いの日だなぁ。と言えるかどうかは、僕の中でとても重要なことになりました。

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