旅人ハルキ

I've been traveling since the day after my high school graduation ceremony.

−初めてヒッチハイクした日−出会いと成長の旅

当時17歳、高校3年生のGW休みを使って、地元の友達と2人、また旅に出ました。

目的地は伊豆半島の最南端石廊崎まで、180kmの道のり5日間の予定でした。今回は自分の中でチャレンジしたい事がありました。

それはヒッチハイクです。

なぜ突然思いついたのかは思い出せませんが、やってみたくなりました。

歩けるとこまで歩いて、辿り着かなかったらヒッチハイクをやってみよう!という計画で出発しました。

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出発の時、とてもワクワクしてました。 

前回の反省を活かして、今回は靴を買いました。そして1日目からかなりの距離を歩きましたが、足は全然疲れてませんでした。

そして最初の夜、もちろんお金も寝るところも無かったので、公園で野宿。よし、寝ようと思ったが、5月といえど寒すぎて寝られない笑。

コンビニでダンボールを貰い、再び公園へ、

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いやいや、寝られないよ。寒くて寒くて。旅は過酷だなぁと当時の自分は思っていました。

結局、寝ずに出発!

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[東京から歩いて海に行く!]と言うと、出会う人は皆ビックリしていました。その反応が楽しかったり嬉しかったり。

「あっちが海か!?向こうに海を感じる!」と疲れながらも楽しんで歩き続けました。

2日目で70㎞を突破。前回はこの頃には足が崩壊してました笑。話して、歌って、会話が尽きて最後に行き着く終点が「しりとり」そんなこんなでひたすら南に歩き続けました。

f:id:journeyharuki:20170715231107j:image90㎞突破!そしてついに、海に出ました!

 

 2人とも目が開いてない笑。3日目になり、一気に体の疲れが出ました。目的地はまだ遠い。このままでは間に合わない。途中で帰るか、このまま進むか。選択は進むでした。

そしてここからヒッチハイクに挑戦!!

f:id:journeyharuki:20170715232253j:image人生で初めてやるヒッチハイク。全く分からない。

《どーやってやるんだ?とりあえず道路脇に立ってみるか。》そして看板を掲げた、。恥ずかしい、。当時の自分の感想はこうでした。

【こんなんで本当に止まるのか?そもそも今時ヒッチハイクってなんだよ(ーー;)あー恥ずかしい】と色々考え出した瞬間!一台の車が自分達の横で止まりました。

え?止まった??

やり始めて5分も経ってません。疑いながら近寄って行くと、元気なお母さんが、[そこに行きたいの?乗ってきな!]と言ってくれました!

おお!ヒッチハイク成功した!!

まさか本当に出来るなんて!!この時の感動は忘れられません!車の中で色んな話をしてくれました。

『自由と自分勝手は似ていて全然違う』人は他人に迷惑をかけない中で自由。

今でも覚えているこの言葉。とてと勉強になる話をしてくれました。これが出会いか!

そして2台目。運命の出会いがありました。

雨も降ってきて、(こんな濡れた人を乗せてくれる人はさすがにいないかな。今日も寝れなそうだ。)と思いながらもヒッチハイクをしていました。すると一台、目の前に止まってくれました。

その方の優しさは女神様でした。

《東京から来たの?こんな雨の中偉いね。今日寝るところは?よかったらうちに泊まって行く??》

え!?いいんですか!??

疲れが限界だった自分達にはこんなに嬉しい言葉はありませんでした。図々しくもお邪魔することに。

(すげー!リアル田舎に泊まろうだ!)とテンションMAXでした。

家に着くなり、布団を敷いてくれて、風呂を沸かしてくれて、ご飯まで作ってくれました!

(人ってこんなに優しかったんだ。)ここまで人の温かみを感じたのは初めてだ。と思いました。

《記念にサイン書いて!》と言われ、画用紙にサインを書かせてもらいました。《すごい記念だよ!ありがとう!》と女神様は笑っていました。

その画用紙は今も額に入れて大切に飾ってくれてるそうです。

そして次の日の朝、出発の時。

「本当にお世話になりました!最終目的地を目指してさらに南に進みます!ありがとうございました!」すると

《これ持ってって!お腹が空いたら食べてね!》 と、おにぎりをくれました。なんて優しいんだ!

泣きそうなりながら感謝の気持ちを噛み締めて、また出発しました。

その後もヒッチハイクを続けて、

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伊豆、下田というとても海の綺麗なところに着きました。

あの優しさと温もりを思い出しながら、そこで先ほど頂いたおにぎりを食べました。再び感動してしまいました。

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その後も石廊崎へ向けてヒッチハイク👍とんでもなく疲れた顔をしてる笑。ラストスパート!

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そして無事、今回の目的地である、

伊豆石廊崎に着きました!!✨

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すごい旅でした。ヒッチハイクを初めてやって、色んな人と出会えました。まさに出会いと別れの連続。今までの人生の中で間違いなく一番濃い5日間でした!

旅をすると、特にヒッチハイクは、普段会うはずの無い人と会える。普通に学校に通っていては出会うはずもない人たち、そんな色んな人の話が聞ける。とても貴重な話です。自分にとっては、学校で教えてもらうことよりも、大切なことが学べる。そう思いました。

そして経験、この濃い濃い経験は一生覚えているでしょう。普段学校で過ごす5日間など、全く覚えていないけど、この5日間は一生忘れません。出会った人と話したり、歩いてる途中にご飯をくれる人や、応援してくれる人がいたり、初めて会った人の家に泊めさもらったり、ところてんの作り方を教えてもらったり笑、どれもが忘れなれない貴重な経験でした。

17歳の時の思い出でした。この旅も一生の思い出です。

そして次の日から学校!電車で直帰しました笑。なんとか学校にも間に合って、
「え!?お前なんでいるの!?てかやべーな!何やってんだよ!」とみんなの反応も楽しかったです笑。

この頃には高校を卒業したらすぐ、日本一周をしようと決心していました。そして冬休み、日本一周前の最後のトレーニングにでました。

『高校3年−日本一周前の最後のトレーニング−100㎞歩いて鋸山を登頂』

真冬にテントも寝袋も持たず、3日で100㎞を歩いて、鋸山を登山。その後ヒッチハイクで帰宅。1週間寒過ぎてほぼ寝れず、修行の旅でした。運動不足の友達は帰宅後病院に行き、医師からしばらく運動停止を言われるほど、足に限界が。過酷な旅でした笑。また次回の記事で👍

−旅に出て起きた心境の変化−チャレンジと成長。

高校2年生の時、【人生初の歩き旅】に出てから、日本一周を志しました。それから準備とは別に、色んな事にチャレンジしました。 

f:id:journeyharuki:20170706001103p:imageキューバダイビングをやったり、

f:id:journeyharuki:20170704005230j:imageスカイダイビングをやったり、

f:id:journeyharuki:20170706001244j:image登山も始めました。

  初めて旅に出てから、自分の中で、何かが確実に変わりました。

一番大きかったのは、旅の1日と日常の1日を比較できるようになったからだと思います。

  • 初めて旅に出た2日間は、学校で過ごす1ヶ月間よりも長く、濃かった。
  •  普段の1ヶ月間なんてほぼ覚えてないのに、この2日間は一生覚えている。

「同じ時間生きてるのに覚えてないのはもったいないな」と思いました。

自分の中に、やりたい!と思う気持ちがあり、その次に不安に思う気持ちがある。そんなやりたい事が沢山ありました。それにチャレンジしてみる事にしました。

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チャレンジをした後にいる、少し成長した自分にワクワクしていました。

[毎日ダラダラと過ごす普通の高校生]は一つの旅で着々と変わっていきました。

そして高校3年生のGWを使って、5日間、また旅に出ました。今度はヒッチハイクにチャレンジしました。それは次回の記事で👍

−人生初の歩き旅−日本一周を志した日。

映画LIFEを見た後、衝撃のあまり、帰ってそのまま荷造りを始めました。

とにかく旅に出よう!その一心でした。

中学生の時は自転車で旅に出てたから、今はもう高校生だし、自転車は卒業だな、、。

よし、じゃー歩こう!

となりました笑。そして目的地を決める。わかりやすく、海まで歩いて行く!と決めました。

方位磁石を持ってひたすら南に歩いて海に出る!

これはすごくワクワクしました。

その勢いに身を任せ、次の日の朝から歩いて海を目指しました。全長70km。

こんな距離歩けるのか?いつ着くんだ?寝るところは?というか無事辿り着けるか?

と、もちろん不安もありました。その中でもワクワクしている自分もいました。

『歩きなんて走るわけじゃないから無限に行けるだろ』とも思っていましたが、40kmを超えた辺りから足に激痛が、。

歩くたびに足の裏から電気が走るような痛み。疲れて座ろうとすると足をつってしまい、座って休憩が出来ない、。

『なんだこの痛みは、。疲労骨折してしまうんじゃないか、?』本当にそう思った笑。

靴を選ぶべきだった。ペラペラのスニーカーではほぼ裸足で歩いてるようなもの。足への負担が凄い。

そしてバックの重みもあり、肩も痛くなって来た。

辞めようかと何度も思いながら、歩き続けて、無事に海に出ました。そこで夕日を見た時、一生忘れないほど感動しました。

本当にひたすら南に歩いて海に出れた!!

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『普通に電車で行って夕日を見てもこの感動は絶対に味わえない。』と思いました。

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たかだか70kmなのに、色んな人に出会えた。

「東京から歩いて来たんですよ。」というと、出会う人みんなビックリ!

普段行くコンビニでさえ、

「へーすごいね!頑張って!これ食べて!」

応援してくれる人や、ご飯をくれる人まで。

感謝と感動の連続でした。

この経験は一生の思い出になりました。👍

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こんな色んな人に出会えて、応援されて、貴重な経験をしたのに、たがだか70kmを歩いただけなのか、。

それなら、日本中を旅したらどれだけの人と出会えるんだろう!どんな景色が見れるんだろう!それをやった後の俺はどうなってるんだろう!と凄くワクワクしました。
そしてこの時、(高校2年生)日本一周を志しました。

この旅に出てなかったら、俺は日本一周をしていません。そしてあの映画を見てなかったら、俺は旅には出ていませんでした。

この旅から、日本一周に向けてのチャレンジが着々と進んで行きました。

−旅に出た第2のキッカケ−忘れていた冒険心を思い出させてくれたもの。

高校生になり、部活や勉強を真面目にやるうちにすっかり忘れていた冒険心。それを思い出させてくれたものがありました。

高校2年生の時、キッカケは一本の映画でした。

地元で普通に、退屈な毎日を過ごしている、どこにでもいる高校生でした。

そんな時、この映画の広告を見ました。

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LIFE[生きてる間に生まれ変わろう]

このフレーズが気になり、なんとなく見てみました。そして衝撃を受けた。

どんな感想だったかはいまいち覚えてないけど、とにかく衝撃が走った。

そしてその映画を観た後すぐ、1900円でバックを買い、帰ってから思いつく限りの荷物をバックに詰め込みました。

両親に突然、「俺、旅に行ってくる!」と言い残し、衝動のままに、本当に突然の事でした。

そして次の日から、人生初の歩き旅に出ました。

この旅が人生を変えるキッカケになりました。歩き旅については次回の記事で。👍

−冒険心が成長した時−自転車があれば、どこまでも行ける気がした。

中学生の時は全てがノリだった。 

 今でも覚えている、初めて冒険らしい事をした時。それは友達の「東京タワー行きたくない?」の一言から始まった。

でもお金はない、電車は無理だ。じゃーチャリで行くか!となった。ここから片道50㎞ほど、深いことは考えず、地元の駅から線路を辿って、友達と3人、自転車を漕ぎだし出発した。

当時の俺らはアホだった。

地元あきる野市、こんなところ。

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俺らはこの景色のまま考えていた。

「東京タワーって高いでしょ?港区行けば見えるべ」「線路辿っていけば着くでしょ👍」

なんて話をしていた。

 

そんな甘い考えはすぐに砕かれた。

23区内に入ると、辿っていたはずの線路が上に!ビルの間を通っていた。これじゃ線路を辿れない!

もう一つ気がついた。都会はビルばかりで空が見えない!これじゃ東京タワーどころじゃない。

「なんだこれ!空が小さい!線路、上走ってるじゃん!てか港区広くね??」と田舎者の我々は混乱しました。

 困難の末、東京駅に着いた。

よし!東京タワーはどこですか??、、え!東京タワーって東京駅じゃないの!?

今思うとどこまでアホなのか笑。その後も行ったり来たりを繰り返し、なんとか東京タワーに着いた!🗼

この時の感動は忘れられない。ビルの間から東京タワーが見えた時は感動しました。

はしゃいで登って、外の階段を下までグリコをやって降りた笑。 

そして帰り。

展望台で感動して何周もしているうちに、3人とも方角がわからなくなって来た。「あれ、あきる野市どっちだ??」

なんとなく漕ぎ出し、気づけば神奈川県へ突入。警察官に何度も補導され、夜中の3時ごろ、多摩川を発見!

よし!これを登っていけば地元に帰れる!流れを確認しに行った。

こっちだ!やっと帰れるー。とホッとしたのもつかの間。

あれ、川幅デカくね?てか、船出てきた!?

そしてトドメの看板。

「ようこそ、みんなの羽田へ。」

そう、川の流れを確認したにもかかわらず、羽田空港まで下ってきてしまったのだ。

ここから帰るには60km以上川を登らなきゃいけない。既に体力の限界。3人とも精神力も限界。でも帰るしかない。ママチャリを漕ぎ続けてお尻も限界。 

限界だらけの中、気力を振り絞り、寝ずに漕ぎ続け、何とか地元に帰った時はお昼過ぎでした。

 

とても辛かった。でも思い返してみると、とても楽しかった。警察官に何度もお世話になってしまい、両親にも迷惑をかけましたが、これは一生の思い出です。

中学2年生の時の話です。

 

それからというもの、海に行きたい!と言えば、「知ってるか?川下れば海に出れるんだぜ。」と言い、チャリンコでひたすら川を下って海に出たり、横浜中華街に行きたい!と思えば迷わずママチャリ走らせて100kmなんて行ってた。

 

素直にワクワクに従っていた。

この経験は凄く貴重だった。俺の中の冒険心を成長させてくれた出来事でした。

両親を含め、色んな人に迷惑をかけました。沢山怒られました。でも、後悔はしていません。この経験がなければ、今の俺はいないのです。

一生の思い出です。やってよかった笑

−旅に出たキッカケ−不安の中に感じた初めてのワクワク感。

どーして旅に出たのかと聞かれることが多いが、旅に出たキッカケを振り返ると、小学生時代まで戻るかもしれない。

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その頃仲の良かったクレイジーな友達TN君が、夕方から突然、デッカい公園に行こう!と言いました。

ここから6駅のところにある公園のこと。一回の乗り換えがあり、30分ほどで着く。小学4年生だった俺はそのわずかな距離がとても不安だった。笑

乗り換えも分からなかった。そして案の定、迷った。

その頃の俺には門限があった。夜7時になっても迷って帰れない。帰ったら両親が怒ってるんだろうな、、と焦った。

だが電車が分からず、乗り換えで色んな方向へ行ってしまった。

「いつ帰れるのか、というか無事帰れるのか。ここどこだ!どっちに行ったらいいんだ!」という完全迷子の環境の中で、ふと、その状況を楽しんでる自分がいる事に気がついた。 f:id:journeyharuki:20170527125636j:image

ワクワクしていた。"無事帰れるのか、ここはどこだ?"という環境にワクワクしていた。

この感覚が今、旅に出てる冒険心や好奇心の始まりだったような気がする。

今でも覚えている、不安の中に感じていたワクワク感を。そして帰ってしっかり叱られた記憶を。笑