旅人ハルキ

I've been traveling since the day after my high school graduation ceremony.

死んだときに残るものは、得たものではなく与えたもの。


人は何かを所有したがります。
持っていると安心するし、
それが自分のステータスであると思い込んでしまう。

僕が旅に出て最初に訪れた気づきは、
本当はバック一つの荷物以外、
何もいらないということ。


本当に大切なものは何か、
厳選されたモノが18歳の僕の
バックパックには詰まっていました。

本当に大切なもの、
今の自分に必要なものは意外と少ない。

数枚の着替えと、
一冊のノートとお気に入りの本ぐらいなものだ。


あんなに大事だと思っていた、
お金が無くなった時もあった。
携帯が使えない時もあった。

でもこの体と意識があれば
全部乗り越えてここまで来れた。


僕の尊敬する旅人、
自転車で10年間無帰国で世界115カ国を
旅した先輩はこんなことを言っていました。

「10年間生きるためには
自転車に詰めるほどの荷物しか必要ない。」



私たちは目に見えない肩書なども含めて、
どれだけ多くのものを所有しているのでしょうか。
そしてそれを手に入れるために
どれだけ必死になっているのでしょうか。


それは本当に大切なものでしょうか。
本当に必要なものでしょうか。


あの世にはお金も地位も持っていけません。


僕の大好きな吉田松陰は、
30歳で死罪になってしまいましたが、
彼の志を受け継いだ者たちが明治維新を起こし
近代日本を作り上げました。
彼の志は何百年たっても受け継がれていました。



「自分が欲しいと思ったものは、まず人に与えなさい。
それは本当に必要な時に帰ってくるから。」

「新しいものを手に入れることより、
今日は何を手放そうかを考える。
両手いっぱいに持った荷物を手放すと、
本当に必要なものを拾えるから」

「水がいっぱいに入ったコップには
新しい水は入らない。」

「やめることから始めよう」



ここにヒントがある気がします。

幸福になるのは、不幸になることより簡単

僕はアウトドアが好きで旅が好きなので、
アウトドア関係で時々海外にも行く。

どの道でもそれを極めた人はいるもので、
気が付けば僕の周りには危なっかしい人が沢山いた。


ある日アウトドアブランドモンベルが主催する
冒険塾というイベントに参加した時のこと。


会場にはモンベルの社長や極地探検家やリアカー引いて世界中を歩いた人など個性の強いメンバーが集まっていた。


命を懸けた数々の経験をした彼らからはいい刺激になる言葉がいくつかあったので紹介します。



「どんなに小さくても、
目標を持って生きていくことは大切だ。」

「準備が整うことはない、
とにかく最初の一歩を踏み出すこと。」


「行ってみるまでは未知、
どんなにガイドブックを見ても、
写真や動画を見ても、
実際に訪れて感動することがある。」

「凍傷は寒いからなるのではなく、
知識が無いからなるんだ。」

「常識を鵜呑みにするのではなく、
自分の頭で考えて行動する。」

「幸福になるのは、不幸になることよりも簡単だ。」


もともと先祖のサルは木の上で生活していました。
ですがだんだん木の実が無くなってきて、サルたちは困っていました。

そしてある日、木を降りて肉食動物の危険に立ち向かうサルが現れました。

他のサルたちはしばらく様子をみて、
安全を確認してゆっくりと降りてきました。


彼ら冒険家は0.3%の異端児なんだと言っていました。

彼らは世間一般の人より、どれだけの景色と経験と知識がその目の奥にあるのでしょうか。

彼らの人生は、常に死と隣り合わせですが、
僕は凄くキラキラしたものを感じました。

たまにそんな方々と話してみることをお勧めします(^^)

お金のために努力するぐらいなら、好きな事のために努力したい。


僕が19歳のころ、
東京から大阪まで500㎞を歩いていました。

そのタイミングで熊本で大きな地震があり、
僕はすぐ熊本にボランティアとして参加しました。

その時に、
同じく熊本活動していたKさんさんと出会いました。


彼は家族と山の上でとても自然的な暮らしをしていて、尚且つ会社の社長でもありました。

しばらく一緒に活動したのち、
僕はまた旅に出ました。


それから2年後、千葉県を訪れた際にたまたま近くで
活動していたKさんと再会しました。

彼はその時日本初のあるプロジェクトの代表をしていました。
そこで少しだけまた一緒に作業をしました。


彼は今まで誰も進んだことが無い道を最初に進んでいく人でした。

僕と千葉で再会した時も新事業を始めたばかりで、
借金は数百万あるとさらっと言いました。


希望を見てたくましく進んでいく姿は
まさに侍のような人でした。


まだ僕はこれから何をしていくのか、
何がしたいのか、わからず悩んでいました。
そんな僕に彼は一つのヒントを見せてくれました。


「俺も19.20歳の時は自転車で日本中を周ってたよ!
必死に探して、やっとやりたいことを見つけて、
それに向かって突っ走ってるって感じ。やっぱり、
お金の為に努力するぐらいなら、
好きなことの為に努力したいよな。

1度の人生、好きなこと思いっきりやったらいいよ!
と心強く僕の背中を押してくれました。


彼の言動、
生き様からは沢山の事を学ばせていただきます。


皆さんにも、
自分の好きなことのモデルになるような、
メンターを探すことをお勧めします。

辛いときこそ日々のありがたみを知るチャンス

18歳の頃どこに何県があるのかも知らず、
十分な旅の資金もなく家を飛び出した僕は、
当たり前ですが大変な状況によく遭いました。


肉体的にも精神的にも
参ってしまうことも多々ありました。


ある時僕は、3月の雪が降る
長野県の人通りも少ない山奥のにいました。


日が暮れる前に
何とか山を抜けて町に出たいと思っていましたが、
ヒッチハイクが上手くいかず、
中途半端に歩いたところでとうとう日が暮れてしまい、
目の前も見えなくなるような雪山を、
膝まで雪に埋もれながら歩く事になりました。


寒すぎて眠れるはずがなく、
朝まで寝ずに歩く覚悟を決めました。

「こんなところで寝たら朝には雪に埋もれてしまう」
という恐怖心の中、孤独に歩いていました。


そして夜11時を過ぎたころに、
やっと1台の車が近づいてきました。
僕は必死に止まってアピールをして、
何とか止まってくれました。

ですがその車は仕事用の車だったらしく、色んな荷物やら機材やらで乗れる状況ではありませんでした。
その男性はあっさり断って去っていきました。


僕は死ぬかもしれないぐらい心細く、
やっと見つけた光がまた遠く離れていきました。


夜中の3時くらいになりました。


孤独と不安に押しつぶされそうになり、
先日お世話になった方にメッセージを送りました。


するとすぐに返事が返ってきて、
メールにはこう書いてありました。

「辛いときこそ、
日々のありがたみを知るチャンスだよ!」

「私は本当に辛い思いをした時、
日々、どれだけ恵まれた環境にいるのかを再確認して、
感謝するようにしてるんだ!
その気持ちを持って進めばきっと大丈夫!
止まない雨はない!」


寝るところがない、温かいご飯がない、
壁がない、屋根が無い、寒い!

それは日々
どれだけ恵まれていたのかを気が付かせてくれました。

そして感謝すること。
家っていいなぁ、毎日温かいご飯って幸せだなぁ、
当たり前は当たり前じゃない。

僕の当たり前はすごく幸せだったんだなぁ。

全てがなくなった時に初めて気が付きました。


その後すぐに、
僕は救世主と出会いなんとか助かりました。
彼とは今でも連絡を取り合います。



辛い環境に遭った時、
それは日々どれだけ恵まれていたのか、
当たり前のありがたさに気づき、感謝するチャンス。
その心を持って、前に進むこと。

#旅の気づき

何があっても自分が決めた道だから


日本一周3日目の夜。
その時僕は3月の冬空の中、旅に出て1人、
宿に泊まるお金もなく、
3日間寒くて寝むれずにいました。


寒さに凍えながら名古屋付近を彷徨い、
なんとか眠れそうな公園にたどり着きました

ーその時の記事ー
−ヒッチハイク日本一周−不安がワクワクに変わった瞬間、今だから分かること - 旅人ハルキ


そこで何やら自転車でアクロバットな技を
練習している男性がいました。


今日も寝る場所がなく寂しかったので話しかけてみると、競技名は忘れましたが、自転車パフォーマンスの日本チャンピョンの方でした!


話しているうちに、
僕は今どんなに辛い状況にあるのかと、
愚痴をこぼし始めました。

「家を出てから3日間寒くて寝れず、
お金も無いから満足にご飯も食べていない、、。」

そんな悩める少年に対して、
彼は自分の事を話し始めました。


「俺は就職を蹴って自転車パフォーマンスの道を極めたいって言った時、親にはすごく反対されたし、友達には馬鹿にされた。」



「そんなのやって何になるんだよ」
「そんなんで食っていける訳ないだろ」
「好きなことやって生きていけるのなんてほんの一握りだ。」

「チャンピョンなんてなれるわけが無い。」



「でも俺は今自転車パフォーマンスをやっている。もちろん辛いことだって多いけど、
まぁ、
何があっても自分が決めた道だから!」


そう言って彼はまた自転車に乗りだした。


「そうか、
何があっても自分で決めた道なのか。」

僕はこの一言で、
自分で日本一周をすると決めたのに、
いつの間にか何かのせいにしようとしている自分に気が付きました。


これはなにか特別なことに限る話ではないと思います。

僕は、口を開けば会社の文句、不満不平愚痴をこぼす大人を沢山見てきました。

ですが具体的に解決策を話すことや
行動を変えることはせず、ただ言うだけ。

でもその会社も環境も、
自分で選んだはず。

旅に出るのだって僕は自分で選んだ。

それでも僕はいつの間にか周りや
環境のせいにしようとしていました。


自分の決定に、自分で責任を持つ。

どんなに辛いことがあっても、
何があっても、
自分が決めた道だから!


そうやって胸張って言える大人でありたい。

そう思わせてくれる彼の一言でした。


最後にミーハーではありますが、
高橋歩さんの言葉でガツンときた一言を。

「自分の仕事を嫌がっているような
クソったれにだけはなりたくない。」


「旅の気づき」まだまだ配信続きます。
コメント、感想、お待ちしております。

自由と自分勝手は似ていて全然違う


僕は自由になりたかった。
何にも縛られたくなかった。
自分で物事を決め、
自分の判断で選んでいく。

旅とはそうゆうものだ。


僕は自由な人に憧れた。
自分の軸で生きている人。
特に僕は、
「親がやれっていうからこれをやる。」
「周りがこうだから俺もこうする」
という風潮を心の底から嫌っていた。


旅に出は僕は、全てが自由だった。
自分で行先やタイミング、ルート、
やること、全て自分で決める。
たとえその道を選んで辛いことがあっても、
全ては自己責任。
旅は腹が立つほど自由で自分次第だった。

僕が旅人に憧れて、ヒッチハイク
伊豆半島を南下していた17歳のころ。
熱海城付近で紙に書いた
ボードを掲げていると1台の車が止まった。
元気なお母さんが運転席から顔を出した。
「私今日寝坊したんだよ!急いでるんだよ!
早く乗って!」
となぜか怒られ気味にありがたく乗車。


「最近何かと物騒じゃない?だからヒッチハイカーとか恐ろしくて、、」
と、なぜ止まってくれたのかすごく謎だったが、そのお母さんはぽろっと僕に大切な事を教えてくれた。


会話の最中、まだ幼い娘さんの話になった。
すごくわがままなんだと。
そしてこう言った。
自由と自分勝手は似ていて全然違うんだよなあと。


その時はいまいち分からなかったが、
今僕は自分勝手にならないように気を付けている。

その判断基準としては、
「自分の好きなことをして、今目の前にいる人、
自分の大切な人が笑っているかどうか」
だ。


自分は最高!でも、目の前の人が傷ついていたらそれは自分勝手な行動だ。


そのお母さんはこうも言った。
「他人を傷つける訳じゃないなら、
好きなことを思いっきりやったらいいよ!」
「人は他人に迷惑をかけない中で、自由」
そして
「仲間と親には、迷惑かけてもいいよ。」と


僕はこれからも自由に生きていきたい。そして自分勝手にはならないように。

「何をやるか」じゃなく、「誰とやるか」やで。

僕は高校を卒業して、就職もせず進学もせず、「旅に出る」と決めて日本一周をしながらとにかく、何をやるべきなのか、ということを必死に考えていました。


ヒッチハイクで九州を周っていたころ、20代のヒッチハイクで全国を周ってるカップルに出会いました。

彼らは大分県の商店街で、段ボールに書かれたメッセージとともに旅の写真を売っていました。

彼らとは九州を横断して、
僕が四国に渡るまで一緒に旅をしました。

3月だったので夜はとても寒かったです。
別れも近づいてきた日の夜、
僕は彼に色んな悩みを話しました。

その言葉の中で今でも忘れられないもの。


大事なのは、
「何をやるか」ではなく、「誰とやるか」やで。

どうしょうもなくつまらん仕事でも、隣にめっちゃおもろい奴がいたらその仕事はおもろいで。

大事なのはいつでも、
モノやコトではなく「人」やで!


今でも物事の判断に迷った時、
一つの道しるべになっています。

やりたいことがいっぱいあって判断に迷ったときは、人を見るのも大事ですね。

彼らは結婚して、最近子供も生まれていました。
お幸せに!
素敵な人生をありがとう!
素敵な言葉をありがとう。