『旅を続けて』
・最初は一人だった。周りに旅人なんていなかったし、そんな存在すら知らなかった。でも進み続けたら少しづつ繋がっていって、世界一周経験者や海外放浪者たちが集まってきた。気が付けば周りには俺よりも遥かにぶっ飛んだ旅人たちが沢山いた。少し前までこんな人達がいるなんて知らなかった。やはり似た仲間が集まる。
周りに一人もいなかった〖旅人〗という肩書を貫いて。
ハルキ君は今何やってるの?という質問には必ず
「旅人やってます!」と言い続けた。そして二年間放浪した。気が付くと周りには旅人が沢山いた。
初めて海外に出て
・日本人はよく肩書きを気にする。何大学卒業、何会社の社員、英検何級、沢山の資格。沢山の肩書きを背負って、名刺に固く書いている。だが海外に出ると何も関係ない。何大学を出てようが、一流企業に勤めていようが、どんな資格を持っていようが関係ない。
大事なのは人間力なのだ。言葉も通じない、町にある文字は全て読めない。文化や常識も違う。そんな環境の中で、偉いも何も無い。目の前の言葉も通じない人に笑いかけて、ジェスチャーでコミュニケーションを取る。何とか宿を見つけたり、道を聞いたり。普段当たり前にしている買い物や、電車に乗るのも一苦労。どのバスがどこに行くかも分からない。
そんな環境で大事だったのはシンプルな、(人として)という原点だった。笑顔で話すこと、一緒に笑うこと、一緒に食べること、相手の目を見ること、相手を大切にすること、言葉ではなく心の部分で。そうすると、言葉は全く分からないけど、すごく仲良くなって、別れの時に涙してくれる人もいた。これは日本にいても大切だなと感じた。この、(人として)の部分を大切にしていきたい。
『旅に出て』
・旅は、自由でした。どこに行くのかも、どの道を歩くのかも自分次第。360度全部"道"。だから何が起きても自分次第。頼るものも無い、責任も自分。どこまでも自由で、ムカつくほど自分次第でした。
・普段あるはずのものが無い。
初めて日本一周に出たときは野宿生活でした。あるはずの壁が無い、屋根が無い。高校生の時は当たり前にあったご飯が無い。全部自分でやらなきゃいけない。当たり前の大切さを感じました。
・本当の自分。
旅をし始めた頃、よく〚いつもとは違う自分がいる〛ということを感じていた。日常と非日常があり、非日常を知るから日常を知れる。もしかしたら、普段の自分は〖周りの人や環境に合わせていた、作っていた自分〗だったのかも知れない。そして今旅に出ている。普段と変わった部分と変わらない部分がある。〖変わった部分〗は(環境によって作られていた自分)で、〖変わらない部分〗は(本当の自分)なのかもしれない。
・外見ばかりを気にする人が沢山いる。ブランド物で着飾って、周りにイケてる人を置いて、見え張っていつも綺麗に見せてる。〖大好きな自分をオシャレに飾る〗のとはまた違う。外ばかり気にしてないで、一度素っ裸になって自分を見つめてみよう。(本当の自分)になろう。外ばかり飾るのではなく、しっかりと中身の詰まった、人間になりたい。
どこまで行こうか。何をしようか。気の向くままに進む。それはとても自由で、とても辛く、寂しく。とても刺激的で、幸せで。温かい。
自分を変えてくれる、成長させてくれる。本気で生きてるって感じる。そんな旅。
-二年前の日記より-
『旅に出た理由』自分の中にあった葛藤と決断
・小学生時代、迷子になりながら、不安の中に感じたワクワクしている自分がいることに気が付いた。
・中学生時代、自転車があればどこでも行ける気がしてた。地元から線路を辿って東京タワーまで行ったり、川を下って海まで出たりした。
・高校時代、受験勉強や部活などの(やらなきゃいけないこと)で疲れ果て、遊ぶ事を忘れていた。そんな俺の遊び心を思い出させてくれた映画が〖LIFE〗でした。
journeyharuki.hateblo.jp
・両親の(公務員になってほしい)という思いや、立派に働く兄の姿や、学校の先生や周りの友達との流れの中で、心の中にある「旅に出たい」という声を押し殺し、敷かれたレールを歩き、大学進学を考えていた。
・だが自分の中にある思いがどんどん膨らみ、その思いを両親や友達、先輩にも話したが、誰に話しても否定され続けた。
どんどん辛くなる一方で、毎日朝起きるのが嫌になっていた。自分の心の声と全く違う行動をしている体。行きたくもない場所に行き、やりたくもない事をやる。心はやりたい事を叫んでいるのに、、
周りのみんなは「考えすぎだ、それが人生だ。」と言う。お前は根性がない。続ける忍耐力もない。逃げようとするな。とたくさん言われた。
だが俺はこのままでは後悔すると知っていた。
だから俺は決意した。
俺には死を意識する出来事があった。中学2年の時に体育館の屋上から足を滑らせ落ちた事だ。病院には行かなかったが、尋常ではない痛みだっだし相当な怪我をしていたと思う。あの時死んでもおかしくは無かった。
恐怖はそれだけではなかった。高校2年生の国語の授業で、たまたま脊髄を怪我した少年の話を読んだ。彼は怪我をしてから3年ほどたったある日、突然、半身不随になった。一生歩けなくなった。
教科書の話だし本当のことか分からなかったけど、とても怖くなった。
もしあの時の衝撃で脊髄を怪我していたとしたら、、
俺もそろそろ朝起きたら突然、体が動かなくなるかもしれない、、そんな恐怖心がありました。
もし突然体が動かなくなったとしたら??
俺はこのままでは絶対に後悔する。だったら自分の思うようにやってみよう。どうなるかなんて全く分からないしビジョンも何も見えていなかった。
「旅に出たい」と大人に相談すると[旅に出てどうする、どうやって食っていくんだ。今の時代に大学も出ないでどうすんだ。社会をなめるな]言われた。
友達からは〚逃げた。何が旅だ。現実逃避か〛と笑われた。
だが俺は自分の中にあるこの気持ちや感覚を信じたかった。とても恐かった。どうなるかなんて分からない。何も見えていない。ただこの心の声を信じたい。周りになんと言われようがやりたい。ここでやらなかったら絶対に後悔する。
そして俺は、敷かれたレールを歩くことをやめて、一人荒野を突き進み、自分で道を作っていく。
旅に出ました。
2年前の日記を読んでると本当に思う。沢山悩んでくれてありがとう。そして行動してくれてありがとう。
-21歳の誕生日を迎えにキリマンジャロへ-がむしゃらに突っ込んで学んでいく。
21歳の誕生日が近づき、今年はどこの山で誕生日を迎えようかと考えていた。何となく、キナバル山(4095m)より高いところに行ってみたいと思っていた。そこで思いついたのがキリマンジャロ。
たぶん俺がそこまで山好きでもなかったから、高い山と言ったら有名なキリマンジャロぐらいしか思いつかなかったんだろう。
このチャレンジを思いついた時、全員に〚無理だ、そんなの出来るわけない〛と言われるだろう。と思ったが、みんな「いいね!いってらっしゃい!!」だった。(お前ならキリマンジャロぐらい行けるだろ、パパッと行って帰ってこい。)と言われた。〚なんかみんなの反応もずいぶん変わったなあ〛と思った。もしかしたら、本当にいけるのかな?と一番疑っていたのは俺だったかもしれない。
俺は今回、初めて自分が思いついたチャレンジに失敗した。今まで通り、パパッと達成して次の更に高い山に登ると思っていた。
失敗の原因は何だったんだろう。目標が今の俺には高すぎたか?自分が100%信じてやれなかったのか。5895mという未知の世界にビビッていたんだろう。でもそれは今までも同じ、いつも未知の世界へのチャレンジだった。
帰国してしばらくはショックで色んなことを考えたけど、今思う、目標もどこでもいい。結果もどっちでもいい。
失敗したら前に進めないんじゃない。失敗しても成功しても、経験してる時点で同じぐらい前に進んでるんだ。俺は今回チャレンジに成功できなかったけど、帰国後既に、想像もつかなかった世界に行こうとしてる。講演会や様々なメディアへの出演も始まっている。
俺は失敗したことで、足止めを食らったと思った。成功していたら前に進めるけど、失敗したらここで止まってしまうと思っていた。だけどそれは違った。俺は前に進み続けていた。経験したことで、結果はどうあれ、チャレンジする前より俺に出来ることは増えていた。ちゃんと蓄積できていた。
今まで、やりたい事を思いついて、達成して。次の目標を見つけて、また達成して。だった。でも今回初めて、やりたい事を思いついて、失敗した。でも同じ。次の目標を見つけて、またチャレンジしていく。だから《失敗も前進》なんだな。と学んだ。経験すること、チャレンジする時点で過去の自分より進んでる。
[最初から月を目指したっていい。もし届かなくても、他の星まで行けるから]
どこかの本で読んだ誰かの言葉。
失敗を認めること・正直にいること。大丈夫、本気になってやってたことは必ず皆に伝わるから。それを知ってる仲間は責めてきたりはしないから。
今回失敗して一番驚いたことがある。それは皆がかけてくれた言葉で一番多かった言葉が〖ありがとう〗だったこと。俺にはそれがなぜか分からなかった。ただその言葉を聞いて涙が出て、心から、生きててよかった。って思った。
-初めて登山をした日-地元から見える、あの山のテッペンに登りたい。
たしか高校2年生の時、毎日学校に行く前に見てるいつもと同じ景色に、突然思い立った、
「あの山のテッペンに登りたい、、。」
あの山のテッペンに行ってみたい、子供の頃からいつもあの山に沈む夕日を見てるけど、あの山から夕日を見たらどんな景色なんだろう。ふと、そんな風に思った。
ここ。
凄く特徴的で、とても登りたくなる形をしている!!今まで毎日見てたのに不思議です。突然ものすごくあのテッペンに立ってみたくなりました。
って事で、地元の友達を1人誘いました。
「なぁ、俺と山に遭難しに行かね??」
〈やだよ。〉
え!なんでよ!いいじゃん!行こうよ!よし!
明日の朝集合な!じゃまた!
はい。って事で2人で行くことに。👍✨
あの山のテッペンを目指して西へ西へだ!3日分の食料はあるから大丈夫だ!
出発の日。
じゃーみんな、遭難しに行ってくる。キラキラした笑顔で友達に見送られ西へ西へ。あの山のテッペンを目指して出発!
近づくにつれてどの山か分からなくなってきた。そして〈この山のテッペンに行きたい。〉と言うと、地元のおじちゃんが、大岳山だ。と教えたくれた。そーなんだ、あんな山にも名前あるんだ、、。
大岳山目指して登山開始!
山道に入ってきた。またまたおじちゃんに遭遇。〈え!?地図持ってないの?遭難しちゃうよ!これ持って行きなさい。〉と地図を渡された。
あ、山に入るには地図がいるのか。
〈熊よけの鈴は持ってる?〉
あ、山には熊が出るんだ、、。
自然が素晴らしい。緑が素晴らしい。空気が美味しい!!気がする。
自然のエネルギーが凄い。山っていいなー。気持ちがいいなー!と山を歩き続けてお昼が過ぎた頃、
【大岳山山頂】と書いた看板があった。
ここが山頂か!遂に来た!
なんて気持ちが良いんだ!!地元からいつも見てたあの山のテッペンに今いる!最高だ。
遠くの方に富士山が見える。いつか挑戦して見たいなぁ。素人でも登れるのかな?3000mとか高すぎて息出来なそう、、
そんな事を考えていました。
しばらく横になり日向ぼっこをして、下山開始。水分もすっかり無くなっていたので、帰り道に滝にて〈南アルプスの天然水〉を補給✨
これはアイデア賞な写真。笑
夜には無事に山を出て、家に帰りました。
登山できた!頂上まで行けた!標高1200mの山。登山してる人からしたら全く何ともない事だが、当時の俺からしたら凄い事だった。
達成感と感動と喜びに浸った。無事に下山して友達と飯を食って話をするのがとても楽しかった。
次は富士山に行ってみよう。そう決めた。
登山なんて危ないからダメだ。1200mなんて高いじゃん。そんなところもう行かないように。と両親に言われた。
俺は言うことを素直に聞けませんでした。好奇心が爆発していたからです。笑
それでもこの頃の俺は、まさか自分がキリマンジャロに行くなんて知る由もなく、、。
《最初は誰でもド素人》まさにですね。
この日から、富士山に向けて少しずつ準備が始まりました。次回の記事で。
−ヒッチハイク日本一周−不安がワクワクに変わった瞬間、今だから分かること
「日本一周へ出るとか、怖くないの?不安じゃない?」とよく聞かれ、当時の俺は『全然!』と答えていました。
ですが今なら言えますが、正直、怖かったです。笑
3月の冬空の中、お金も寝るところもなく、鹿児島へ向けてヒッチハイクを始め、どこに何県があるのかも知らず、いつ辿り着くのか、いつ帰れるのか、というか無事に着くのか。と不安にならない訳がないです!笑
そんな弱っちい俺でも、日本一周を完結出来ました。
それは不安を消し飛ぶ出来事があったからです
そこまで乗せて来てくれた人と一緒にお城を観光しました。そして夕方になり別れの時が来て、また一人になりました。
今日も寝るところがないなぁ、寒さに耐えられる自信がない、。
不安になりながら、とりあえず公園に行くと、
そこで自転車で何やらパフォーマンスをしてる人が。
話を聞いてみると、彼は自転車パフォーマンスの日本チャンピオンでした。
詳しい競技は覚えてませんが、彼とこんな話をしました。
『旅をしてて両親は心配しないの?』
「両親の反対を押し切って出て来ました。でも3日間も寒すぎて寝れず、お腹も減って、辛すぎて、なんの罰ゲームだよって感じです。」
そしたら彼は話してくれました。
『俺は就職をしないで、自転車パフォーマンスの技術を極めたいって言った時、両親には凄く反対されたし、友達には馬鹿にされた。』
『でも俺は今自転車パフォーマンスをやってる。もちろん辛いことだって多いけど、まぁ、何があっても自分が決めた道だからな!』
何があっても自分が決めた道だから、、そうだ!
《俺は自分がやりたくて旅に出たのに、いつの間にか誰かのせいにしようとしてた。辛いのは当たり前だ、何があったって自分が決めた道なんだから、自分の責任だ!やるしかない》
俺はその事をすっかり忘れていました。この一言に救われました。
そうだ、俺はヒッチハイクで日本一周をするって決めた、何があっても自分が決めた道だ!自分の責任だ!
そう思えた瞬間から、急にワクワクきました!《これからどんな人と出会えるんだ?もっと素敵な出会いがあるのかもしれない!どんな景色が見れるんだ!?どんな経験が待ってるんだろう!》と不安が完全に無くなり、ワクワクに変わりました。
あの時、彼が何気なく言った、
【何があっても自分が決めた道だから】
この一言で全てが変わりました。
言葉の持つ力はすごい、誰かの何気ないたった一言で、人生が変わる事だってある。その言葉を軸に生きて行く人もいる。言葉の持つ力を体験した瞬間でした。
そして、今気づくこと
何か新しいことにチャレンジする時、不安とワクワクはいつも同時にあるもの。そのどちらを見て進んでるかの違いだけ。
日本一周に出てすぐの時は不安なものばかりに目を向けていた。(こうなったらどうしよう、こんな事が起きたらどうしよう。)と心配していました。
ですが、彼の一言をキッカケに世界のワクワクを見るようになりました。(これからどんな景色が見れるのかな、どんな人に出会えるのかな!)とワクワクしていました。
やってる出来事は同じなのに、心境が全く違う
これは、同じものを見ているけど、視点が違うだけです。ワクワクして過ごしていると、楽しい事に敏感になって、楽しいことがたくさん起きます。反対も同じです。
何か新しいことにチャレンジする時、もちろん不安になります。その気持ちは大事だと思います。失敗した時のこともちゃんと考えて、今できる事をやったらいいんです。それでも想像を遥かに超える出来事が起きます。旅ではそんな事がしょっちゅうです。その時はその時、それもまた成長です。
失敗した時の備え、今できる事をやったなら、あとはワクワクする事を考えて、これから起こる出来事を楽しみに待つだけです。
-ヒッチハイク日本一周へ出発-高校卒業
高校卒業式の日。自分の心は完全に日本一周へ向けられていました。
実はこの時には既に、バックパックに荷物を詰め終わっていました。
両親が、「え?本当に行くの?」と心配する中、自分は《当たり前。👍》という感じでした。
卒業式の日、お世話になった先生や友達に、『俺明日から日本一周に行ってくる!また会おうな!』と言いまくりました。
周りの人は皆んな半信半疑だったんでしょうね笑。『嘘でしょ?冗談でしょ?』そんな言葉をよく聞きました。
その時の自分は、わざと言いふらす事で自分が逃げられない状況を作っていました。いい意味で追い込んだのです。もう出発しない手はない。これでビビって行かなかったらちょーダサいじゃん。わざとそんな状況にして、弱い自分を奮い立たせました。これは絶大な効果がありました。覚悟を決められました。
そして卒業式の次の日から家を飛び出し、大したお金も持たず、どこに何県があるのかも知らず、3月の冬空の下、寝るところもなく、多くの大人に心配をかけながら、18歳少年のヒッチハイク日本一周の旅が始まりました。
いろんな世界を見に行きたい!色んな人に出会いたい!いろんな話を聞きたい!いろんな景色が見たい!まさに成長の旅でした。
ーこの時を振り返ってー今思う事
共有するのはいつだって恐いです。自分のやりたい事、本当の気持ちを伝えると、どう思われるのか心配になります。
ですがそれより大切なのは、【自分がどうしたいか】自分が本当にやりたい事なら、周りにどう言われようがやってみる。それで失敗したとしても納得出来ます。
ですが最後まで周りの意見を気にしてやらなかったら、必ず後悔します。
【やった後悔は時間と共に小さくなるが、やらなかった後悔は時間と共に大きくなる。】
【やって見なければ、結局は失敗と同じ。】
自分が尊敬する人の大好きな言葉です。
自分もまだまだですが、いつでも自分の心に正直な選択をしていこうと思います。