−冒険心が成長した時−自転車があれば、どこまでも行ける気がした。
中学生の時は全てがノリだった。
今でも覚えている、初めて冒険らしい事をした時。それは友達の「東京タワー行きたくない?」の一言から始まった。
でもお金はない、電車は無理だ。じゃーチャリで行くか!となった。ここから片道50㎞ほど、深いことは考えず、地元の駅から線路を辿って、友達と3人、自転車を漕ぎだし出発した。
当時の俺らはアホだった。
地元あきる野市、こんなところ。
俺らはこの景色のまま考えていた。
「東京タワーって高いでしょ?港区行けば見えるべ」「線路辿っていけば着くでしょ👍」
なんて話をしていた。
そんな甘い考えはすぐに砕かれた。
23区内に入ると、辿っていたはずの線路が上に!ビルの間を通っていた。これじゃ線路を辿れない!
もう一つ気がついた。都会はビルばかりで空が見えない!これじゃ東京タワーどころじゃない。
「なんだこれ!空が小さい!線路、上走ってるじゃん!てか港区広くね??」と田舎者の我々は混乱しました。
困難の末、東京駅に着いた。
よし!東京タワーはどこですか??、、え!東京タワーって東京駅じゃないの!?
今思うとどこまでアホなのか笑。その後も行ったり来たりを繰り返し、なんとか東京タワーに着いた!🗼
この時の感動は忘れられない。ビルの間から東京タワーが見えた時は感動しました。
はしゃいで登って、外の階段を下までグリコをやって降りた笑。
そして帰り。
展望台で感動して何周もしているうちに、3人とも方角がわからなくなって来た。「あれ、あきる野市どっちだ??」
なんとなく漕ぎ出し、気づけば神奈川県へ突入。警察官に何度も補導され、夜中の3時ごろ、多摩川を発見!
よし!これを登っていけば地元に帰れる!流れを確認しに行った。
こっちだ!やっと帰れるー。とホッとしたのもつかの間。
あれ、川幅デカくね?てか、船出てきた!?
そしてトドメの看板。
「ようこそ、みんなの羽田へ。」
そう、川の流れを確認したにもかかわらず、羽田空港まで下ってきてしまったのだ。
ここから帰るには60km以上川を登らなきゃいけない。既に体力の限界。3人とも精神力も限界。でも帰るしかない。ママチャリを漕ぎ続けてお尻も限界。
限界だらけの中、気力を振り絞り、寝ずに漕ぎ続け、何とか地元に帰った時はお昼過ぎでした。
とても辛かった。でも思い返してみると、とても楽しかった。警察官に何度もお世話になってしまい、両親にも迷惑をかけましたが、これは一生の思い出です。
中学2年生の時の話です。
それからというもの、海に行きたい!と言えば、「知ってるか?川下れば海に出れるんだぜ。」と言い、チャリンコでひたすら川を下って海に出たり、横浜中華街に行きたい!と思えば迷わずママチャリ走らせて100kmなんて行ってた。
素直にワクワクに従っていた。
この経験は凄く貴重だった。俺の中の冒険心を成長させてくれた出来事でした。
両親を含め、色んな人に迷惑をかけました。沢山怒られました。でも、後悔はしていません。この経験がなければ、今の俺はいないのです。
一生の思い出です。やってよかった笑
−旅に出たキッカケ−不安の中に感じた初めてのワクワク感。
どーして旅に出たのかと聞かれることが多いが、旅に出たキッカケを振り返ると、小学生時代まで戻るかもしれない。
その頃仲の良かったクレイジーな友達TN君が、夕方から突然、デッカい公園に行こう!と言いました。
ここから6駅のところにある公園のこと。一回の乗り換えがあり、30分ほどで着く。小学4年生だった俺はそのわずかな距離がとても不安だった。笑
乗り換えも分からなかった。そして案の定、迷った。
その頃の俺には門限があった。夜7時になっても迷って帰れない。帰ったら両親が怒ってるんだろうな、、と焦った。
だが電車が分からず、乗り換えで色んな方向へ行ってしまった。
「いつ帰れるのか、というか無事帰れるのか。ここどこだ!どっちに行ったらいいんだ!」という完全迷子の環境の中で、ふと、その状況を楽しんでる自分がいる事に気がついた。
ワクワクしていた。"無事帰れるのか、ここはどこだ?"という環境にワクワクしていた。
この感覚が今、旅に出てる冒険心や好奇心の始まりだったような気がする。
今でも覚えている、不安の中に感じていたワクワク感を。そして帰ってしっかり叱られた記憶を。笑