旅人ハルキ

嶋津晴暉。高校2年生の時に見た1本の映画をキッカケに家を飛び出し、ヒッチハイクで日本を一周。そのまま海外も含めて3年間ほど放浪旅へ。世界中を旅する旅人に憧れ、世界中の景色が見たくて、世界中の山に登りたくて、色んな人に会いたくて、今日も生きてます。そんな旅日記。

東京から大阪まで500㎞の歩き旅

たしかあれはまだ肌寒い5月ぐらいのことだったと思う。日中は暖かいけど夜寝るときは寒くて眠れない日があったのを覚えている。これは題名の通り、東京都あきる野市を出発して、大阪まで約500の道のりを歩いた時の話である。ただのへなちょこ冒険記だけど、当時19歳の僕からしたら自分の殻を何枚も破った大きな旅だった。

 

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キッカケは特にない。16歳の時、たまたま見た旅の映画に触発されて、初めての歩き旅に出た。その時は地元あきる野市から江の島まで70の道のりだった。これがまた最高に楽しかった。当時の僕は"人ってこんなに歩けるんだ!!"って思うぐらい感動していた。今じゃ歩いて日本一周どころか、人力車まで引いて世界一周している友達さえいる。

 

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この旅から繋がって、17歳の真冬に千葉県鋸山まで、100を歩いて登山をした。シンプルに自分の限界が知りたかった。ちなみにこの千葉の歩き旅を一緒に行った友達は帰宅後、病院で2週間のドクターストップを告げられた。「膝に爆弾を抱えちまった。」なんて笑っていた。

こんな旅を繰り返して、(俺の足はまだ歩けるようだ。)と思い、今回の大阪までの歩き旅を思いついた。もともと大阪には行く予定があんたんだけど、普通に行っても面白くないから、なんなら歩こう!と思ったのがこの旅の始まりだ。

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一人で歩くのは退屈だから誰かいないか探していた。そこで地元の仲間が集まった時にこの旅の話をしてみた。「俺、参勤交代してくる。」

「あほだな~、何言ってんだよ。てか参勤交代って逆じゃね?」と、ほとんどの仲間が馬鹿にしてくる中、一人だけ「面白そう!」と言ってくれた。「よし。いきましょう!」

ということで大阪まで歩いて二人旅が始まった。

理想の生活-夢は続く

(前回の記事)

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 この島は鹿が多いみたいだ。夜の暗闇の中、無数の足音に囲まれて目が覚めた。驚いて起き上がると鹿の群れが慌てて逃げて行った。食料の匂いに釣られて来たのか。毎日長い夜だった。

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無人島生活最終日。特に変わりなく最終日まで来てしまった。毎日何かをしていたが、あっという間だった。自然のリズムはゆっくりのようで、振り返るととても速い。

無人島で過ごしている間、携帯も、時計もしなかった。太陽のリズムで生活していた。やはりこっちのリズムの方が健康にはよさそうだ。人工的な音は一切しなかった。自然は意外と賑やかだった。海は波を立てて常にうなってるし、森は風を浴びて葉を鳴らしている。

いつも聞こえてくる雨の音さえ違った。いつもの雨は家の屋根や地面に当たって固く弾き返る。でもここの雨は森や土や海の表面に吸収される。なんとも心地いい音だった。

たった4日間だけどこんなに自分の顔を見なかったのも初めてだった。普段は毎日どこかしらで自分の顔を見るこの生活のなかでは自分の見た目の小さなことは気にしなくなっていた

後、人は突然環境が変わると便が出なくなるらしい。俺も最初の3日間は便が出なかったもしこうなっても病気ではないので気にしないように

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穏やかな無人島生活だったが、迎えの船が来る最終日、ものすごい雨に襲われた。船が岸に近づけず、沖で停滞していた。激しい波に煽られていた。なんとか近づいてきたが、接岸は出来ず。すると荷物を投げてと合図され、俺も慌てて船に荷物を投げ、激しく上下する船にタイミングを合わせて飛び乗った。タイミングを間違えば海にポンッなんてことも、。映画の撮影かな?と思うほどハードな最後だった。

「最後に洗礼受けたね」なんて言いホッとして笑った。

無事本土に着いた時、港にいた人たちが暖かいコーヒーやお菓子を出してくれた。和歌山県の優しい方々に救われました。ありがとうございました。

やはり自然の中で生きる事は気持ちがいい。俺の理想の生活スタイルだ。小学生の時から憧れていた無人島生活はこうして形になった。まだ体験したことがない事をもっと体験してみたい。この好奇心と自信は海外に向けて踏み出す一歩に繋がっていった。こうして無人島生活の夢は今も左手に残る思い出深いナイフ傷と共に一生消えない思い出となり完結した。 

9月若干19歳友ヶ島3泊4日無人島生活完。

アクシデントは続くー無人島生活

-前回の記事-

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 手を怪我してからというもの、何をするにも気になって仕方がない。傷口が開いているのは菌が簡単に入って腫れてしまうから怖い。だが夢にまで見た無人島生活、憧れのマサルさんのように海に潜って食材を捕まえたい。ここまで来たんだから後悔の無いようにやるしかない。

俺は海に入ることにした。

 痛む左手をかばいながらモリを片手に海に潜った。あいにく海無し県育ちなので、モリ突きは根っからの素人。だが潜水には自信があった。子供の頃からずっと川に潜って魚と遊んでた。だから10mほどは軽々と潜れた。どこまでも深い海には、川にはない怖さがあった。そして結果は、惨敗。

想像していたよりずっと難しかった(魚って早いんだな)改めてマサルさんのすごさを知った素人がいきなり無人島で食材を手にするのは難しいようだ俺は作戦を変更して島の反対の岸で貝を獲ることにした。(笑)

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海の透明度が高い。夢中になって食べられそうな貝を獲って、ひたすら潜っていた。そして気が付くと潮が満ちていて波が高くて岸を帰れなくなっていた。なので目の前の崖を登って拠点まで帰ることにした。

初めてのクライミング

最初はなだらかな崖だったのでスイスイ登って行ったが、次第に角度がキツくなってきた。気が付くと降りる事も出来ないほど急な崖の真ん中に来てしまっていた。もう登るしかない。足を滑らせば海に落ちてしまう。満ちてきた海が下でうなっている。(落ちたら死ぬ、。)そんな恐怖さえ出てきた。しかも岩が脆くなってきた。掴む岩を間違えれば崩れて岩ごと落ちてしまいそうだ。

もう上の終わりが見えてきた頃、掴む岩がなくなり、亀裂から生えた枯れた木の根っこにぶら下がってしまった。この瞬間は生きた心地がしなかった。岩をつかんで力んだ時また左手の傷口が開いてしまって、いろいろ焦る出来事だった。


なんとか30mほどの崖を登りきり拠点に戻れた。助かった。焚き火をして夕食の準備にかかる。魚はなかなか獲れないし、貝もそんなに豊富じゃない。沢山取れるといったらバッタぐらいなものだ。思っていたよりずっと難しい無人島生活だった。

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若い時期は勢いがある。恐怖心もあるが、それよりもワクワク感の方が勝る。でもそれは本当の問題点が見えていないからだ。危険を知らないというリスクがある。勢いに身を任せすぎると命を落としかねない。好奇心は自分が進むべき方向を示してくれるが、恐怖心は失敗する可能性を教えてくれる。不安な心を無視して一歩を踏み出すのではなく、自分が感じる不安にもちゃんと目を向けて、最善の対策を準備して一歩踏み出すこと。遅くなってもいい。踏み出す速さは一番大切な事ではない。今、当時の自分を見るとそう思います。

 

 

 

 

‐夢に見た無人島生活を決行‐

‐前回の記事‐

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 無人島生活決行の前夜、トッティーと一緒に装備の確認をした。自然豊かな土地で育った俺はアウトドアが大好きだった。友達とよく魚を捕まえては焚き火をして食べていた

"子供の頃から夢に見ていた無人島生活"

俺はナイフ一本で上陸するつもりだった。だがアウトドアのプロフェッショナルでもあるトッティーが絶対に無理だという。俺より知識も技術も遥かに上だ。好奇心だけで何も知らない俺はとりあえず話を聞くことにした。

結局2人ともバックいっぱいに荷物を詰め込んだ

 

決行の日がやってきた。まだ薄暗い街に出て、電車で京都から和歌山へ向かう。"出来るだけ早く島に入りたい"明るいうちに島の様子を見て生活の体制を整えたい電車に揺られ、のどかな景色を眺めながら、頭は"無人島生活"でいっぱいだった

9月の見事な秋晴れの中、最終駅について急いで船着場に向かった。

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自分たちが乗るべき船を見つけて、"とうとう始まる"という気持ちに胸が高鳴った。

船着場に着き、島への滞在日数などの計画を係りの人に伝えた。

「気を付けてね。」と笑顔で送り出してもらい、ついに島へ向けて船が進みだした。

暑くも寒くもなく、心地よい天気だ。

船が次々と島を追い越していく。

"あの島か?あっちの島か?" 今か今かと上陸の瞬間を楽しみにしていた。

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船がゆっくりになった。ついに来た。この島が今回お世話になる友ヶ島のようだ。島にはまだ沢山の観光客がいた。でもみんな今日の最終船で帰る。それから運行が再開する4日後までが無人島になる期間だ。なので一度上陸したら何があっても4日間は生き延びなければならなかったそのサバイバル感俺をワクワクさせていた

 

島に上陸。まず開けた土地を見つけて荷物を置き、そこを拠点に島を周ることにした。

f:id:journeyharuki:20180318205952j:plain島のいたるところに歴史を感じる壊れかけの建造物がある。噂通り"ラピュタ"のような世界だ

ここ友ヶ島は、第二次世界大戦まで旧日本軍により、外国艦隊が大阪湾に侵入するのを防ぐために使われていたと言われている。島のいたるところに砲台の跡があるのはそのせいだ。

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人間が戦争のために作った建造物が植物に覆われて壊れ、砲台の土台が木の根によって真っ二つに割れている。それらを見ていると植物たちが"戦争なんてやめろ"と訴えているように思えた。

f:id:journeyharuki:20180318210606j:plain海沿いに行くと崖に鎖が打ってあった。江戸時代から修行の場として使われていたそうだ。その鎖を使って断崖絶壁を上り下りして修行を行ったそうだ。

 

島を一周見て、拠点に戻った。とりあえず夜に備えて薪を集めよう。俺は慣れないナイフを使って木を切っていた。

なかなか木が固い。力を込めて木を真っ二つに!「オリャ!」

(グサッ)、、、え。。。

 

勢いあまって、なんと左手にナイフが刺さってしまった。噴水のように血が噴き出してきた。あまりの驚きに"痛い"という感情が出てこなかった

「やってしまった」(とりあえず落ち着いて、、止血しなければ)

急いで傷口を圧迫し、心臓より高い位置にする。それでも脈を打つように出血するので、流れ着いていたテニスボールを脇に挟み、左腕の動脈を抑える。(いやーー、やってしまった)

アウトドアの知識があるトッティーも、「ここまでの傷は手当てした事がない。」と言っていた。

「いい勉強になりますね。」と俺。驚きのあまり何かを悟ったかのように落ち着いていた。

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なんと無人島生活開始50分後の出来事であるもう船は出てしまったので帰れない。ここから4日間。過酷な無人島生活が始まったというか自ら過酷にしてしまった。この島での生活。どうなることやら、。続く。

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ちなみにこの写真は左手の傷を抑えながら、4日間どうしよう、と考えているところ。

‐無人島生活に憧れて‐

19歳になって間もなくの夏、世界一周をした旅人の先輩と2人で無人島生活に出掛けた。あれは高校の文化祭からちょうど1年後の事だった

同級生たちが母校の文化祭へ行こうと誘ってくれたのを、「今から無人島に渡るからごめんな。」と断ったのを覚えている。無人島へ渡る船の上で、(人生何が起こるかわからないなあ)なんて考えていた。

あの頃は大学生活を続けようか、やりたいことをやろうか迷っていた時だ。高校を卒業してすぐに日本一周に旅立った俺は、旅先の様々な出逢いや経験から、学生生活に沢山の疑問を抱いていた。

 

そんなタイミングで、日本一周をしていた時に福岡で出会った旅人の先輩に、来月無人島生活しない?と誘われてしまった。どうしようもなくワクワクしてしまって学校どころではなくなった。

旅なんかに出たら履歴書に傷がついて人生を棒に振るうことになると思っていた。それは周りにいた大人たちがそう教えてくれたから。

でもこのワクワクを抑えられなかった、というと嘘になるか。退屈していたし、刺激がほしかったし、迷いに迷って、とりあえずその退屈な環境から逃げ出したと言ったほうが近いかもしれない。

そんなこんなで一か月後には東京を旅立ち、お気に入りのバックパックを背負い、京都にいる先輩のもとを訪れた。

 

半年前に福岡を旅していた俺は、このお気に入りのバックパックを背負い、背中には大きく【ヒッチハイク日本一周】と書かれた看板を背負っていた。突然ツイッターで連絡をくれた彼のプロフィールには世界一周経験者との文字が書いてあった。面白そうなので会ってみることにした。逆にヒッチハイクをされたのである。

そして待ち合わせをして、博多の街で対面。彼は【トッティー】と名乗った。しばらく街を案内してもらいながら、旅に関する色んな話をした。その日の夜は彼の家で"世界一周帰国パーティー"を開くとの事で、出会って間もないがお邪魔させてもらうことにした。彼が見てきた世界中の景色や話にはワクワクが止まらなかった。旅人に憧れ、俺もいつか世界中を周りたいと思った。

福岡を出発するまでお世話になりっぱなしだった。彼は、「俺もヒッチハイクで日本中を旅していた時や世界中で出会った沢山の人に親切にされたが、その人たちに恩を返すことは難しい。だからその人たちから貰った恩を次出会う人たちに繋いでいるんだ。ハルキにもそうしてほしいね。」と話してくれた。

それから俺はまたヒッチハイクで九州を周り、四国、本州へと旅を進めていった。

 

そして今回は、ゆったりと新幹線の座席に座って京都に向かっている。以前ヒッチハイクをしていた場所を通り過ぎるたび「良いご身分になった」なんて思った。京都駅に着くとトッティーがバイクで迎えに来てくれてた。半年ぶりの再会だ。この日は彼のバイクで、京都観光に連れていってもらった。そして無人島生活への計画を立てた。

 

場所は和歌山県友ヶ島ラピュタのような風景としても知られている。普段は定期便が出ていて観光客で賑わうこの島。丁度その定期便が休みになる最終船で島に渡り、4日後船が再開するまで無人島になるので、そこで無人島生活を決行しよう決めた。これから始まる無人島生活に心躍らせていた。

 

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本当に危ない時は逃げていい、死んだら終わりなんだ。

前回の記事【21歳の誕生日を迎えにキリマンジャロへ-がむしゃらに突っ込んで学んでいく。】の続き。

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 俺の場合、登山における目標は山頂に立つこと、その目標に向かって進んでいる。やるからには絶対に達成したい。どんなに辛くても、予想外の事が起きても必ず達成する気持ちで登っている。でも、本当に危ない時、身を守る為には下山する必要がある。こうゆう時に下山出来ない人がいる。この目標において、想いが強ければ強いほど、背負うものが重ければ重いほど、失敗はどうしても避けたくなる。もし失敗した時の責任を考えると、どうしても降りられない。


俺は今回、30人以上の人に20万円ものお金を出してもらってここにいる。皆の想いがある。皆の力で、一人の俺がキリマンジャロに来ることが出来た。達成する責任がある。ゴールは目の前、達成しない訳にはかない。
だから降りられない。俺はこんな状況で大切なのは
《逃げる勇気》だと思いました。言い訳にしか聞こえないかも知れませんが、本当にそう思った。
失敗した時の責任が恐いとか、皆になんて言われるかとか。恥ずかしくて、自分が情けなくなる。あんなにでかい事言ってたのに、失敗したら皆に会わす顔が無い。

命か山かの選択を迫られた時、「いっそ、このまま進んで死んだほうがましか。」とまで考えてしまっていた。そんな状況の中でふと、頭に浮かんだ質問がある。
『ハルキ、お前はここで、このまま死にたいのか?』そんな質問が頭に浮かんだ。


いや、、、俺は、、、!
「まだ死にたくない!俺はまだまだやりたい事が沢山ある!行きたい場所が沢山ある!キリマンジャロで命を落とすわけにはいかない!」
皆の想いとか責任とかどうでもいい!!(どうでもよくはないですが笑)俺はまだやりたい事がある!!キリマンジャロなんていつでも帰ってこれる!笑うなら笑え!そう思えた。

死の間際に行った時、最後に大事なのは『自分の気持ち』だと思った。他人にどうこう言われるとか、他人目線ではなく、自分がどうしたいのか。
キリマンジャロで命を落とす人と落とさない人がいる。想いが強ければ強いほど進み続けてしまう。降りる勇気なんてない。
《逃げる勇気》下山する時、悔しくて悔しくて涙が止まらない。だが、物語はまだ続く。死んだらそれが終わっちゃうんだ。
山は簡単に命を奪う。山だけの話ではなく、人は誰でもいつも死と隣り合わせだど思っている。みんな自分の山に登ってる。本当に危ないときは逃げていい。死んだらもう終わっちゃうから。生きてさえいればまた前に進めるから。

当時の記事-嶋津 晴暉 - 大敗北しました。何も出来なかった。... | Facebook

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旅に出てから、いつ死んでも後悔をしないように。生きてきたつもりだ。何か未知の世界にチャレンジする時はいつも死を覚悟していた。
だが今回、「山で死ぬ」となった時、普通に恐かった。死にたくないって思った。まだまだやりたい事が沢山あった。
いつも死の覚悟なんて出来てるって思ってたのにそれは偽物だった。後悔しない人生を生きてきたつもりだったが全然だった。
もっとやりたい事をやろうと決めた。好きなことに全力で生きようって決めた。遅かれ早かれ訪れる死。次はもっと素直に受け入れる。その時までをもっと生きよう。
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富士山・いつも過酷なチャレンジをする時は、足が折れようが指が無くなろうが達成してやるって思ってやってきた。でもそれじゃダメだ。ちゃんと五体満足で帰ってくるのが条件。何となくそう思った。

f:id:journeyharuki:20171019155305j:image帰国後、東京日野市の古民家[ひらやまチベット]にてキリマンジャロ報告会をさせて頂きました!ありがとうございました😊

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『旅を続けて』

・最初は一人だった。周りに旅人なんていなかったし、そんな存在すら知らなかった。でも進み続けたら少しづつ繋がっていって、世界一周経験者や海外放浪者たちが集まってきた。気が付けば周りには俺よりも遥かにぶっ飛んだ旅人たちが沢山いた。少し前までこんな人達がいるなんて知らなかった。やはり似た仲間が集まる。

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周りに一人もいなかった〖旅人〗という肩書を貫いて。
ハルキ君は今何やってるの?という質問には必ず
「旅人やってます!」と言い続けた。そして二年間放浪した。気が付くと周りには旅人が沢山いた。

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初めて海外に出て

・日本人はよく肩書きを気にする。何大学卒業、何会社の社員、英検何級、沢山の資格。沢山の肩書きを背負って、名刺に固く書いている。だが海外に出ると何も関係ない。何大学を出てようが、一流企業に勤めていようが、どんな資格を持っていようが関係ない。

大事なのは人間力なのだ。言葉も通じない、町にある文字は全て読めない。文化や常識も違う。そんな環境の中で、偉いも何も無い。目の前の言葉も通じない人に笑いかけて、ジェスチャーでコミュニケーションを取る。何とか宿を見つけたり、道を聞いたり。普段当たり前にしている買い物や、電車に乗るのも一苦労。どのバスがどこに行くかも分からない。

そんな環境で大事だったのはシンプルな、(人として)という原点だった。笑顔で話すこと、一緒に笑うこと、一緒に食べること、相手の目を見ること、相手を大切にすること、言葉ではなく心の部分で。そうすると、言葉は全く分からないけど、すごく仲良くなって、別れの時に涙してくれる人もいた。これは日本にいても大切だなと感じた。この、(人として)の部分を大切にしていきたい。

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