旅人ハルキ

嶋津晴暉。高校2年生の時に見た1本の映画をキッカケに家を飛び出し、ヒッチハイクで日本を一周。そのまま海外も含めて3年間ほど放浪旅へ。世界中を旅する旅人に憧れ、世界中の景色が見たくて、世界中の山に登りたくて、色んな人に会いたくて、今日も生きてます。そんな旅日記。

‐夢に見た無人島生活を決行‐

‐前回の記事‐

journeyharuki.hateblo.jp

 無人島生活決行の前夜、トッティーと一緒に装備の確認をした。自然豊かな土地で育った俺はアウトドアが大好きだった。友達とよく魚を捕まえては焚き火をして食べていた

"子供の頃から夢に見ていた無人島生活"

俺はナイフ一本で上陸するつもりだった。だがアウトドアのプロフェッショナルでもあるトッティーが絶対に無理だという。俺より知識も技術も遥かに上だ。好奇心だけで何も知らない俺はとりあえず話を聞くことにした。

結局2人ともバックいっぱいに荷物を詰め込んだ

 

決行の日がやってきた。まだ薄暗い街に出て、電車で京都から和歌山へ向かう。"出来るだけ早く島に入りたい"明るいうちに島の様子を見て生活の体制を整えたい電車に揺られ、のどかな景色を眺めながら、頭は"無人島生活"でいっぱいだった

9月の見事な秋晴れの中、最終駅について急いで船着場に向かった。

f:id:journeyharuki:20180318204745j:plain

自分たちが乗るべき船を見つけて、"とうとう始まる"という気持ちに胸が高鳴った。

船着場に着き、島への滞在日数などの計画を係りの人に伝えた。

「気を付けてね。」と笑顔で送り出してもらい、ついに島へ向けて船が進みだした。

暑くも寒くもなく、心地よい天気だ。

船が次々と島を追い越していく。

"あの島か?あっちの島か?" 今か今かと上陸の瞬間を楽しみにしていた。

f:id:journeyharuki:20180318210140j:plain

船がゆっくりになった。ついに来た。この島が今回お世話になる友ヶ島のようだ。島にはまだ沢山の観光客がいた。でもみんな今日の最終船で帰る。それから運行が再開する4日後までが無人島になる期間だ。なので一度上陸したら何があっても4日間は生き延びなければならなかったそのサバイバル感俺をワクワクさせていた

 

島に上陸。まず開けた土地を見つけて荷物を置き、そこを拠点に島を周ることにした。

f:id:journeyharuki:20180318205952j:plain島のいたるところに歴史を感じる壊れかけの建造物がある。噂通り"ラピュタ"のような世界だ

ここ友ヶ島は、第二次世界大戦まで旧日本軍により、外国艦隊が大阪湾に侵入するのを防ぐために使われていたと言われている。島のいたるところに砲台の跡があるのはそのせいだ。

f:id:journeyharuki:20180318205743j:plain

f:id:journeyharuki:20180318205828j:plain

人間が戦争のために作った建造物が植物に覆われて壊れ、砲台の土台が木の根によって真っ二つに割れている。それらを見ていると植物たちが"戦争なんてやめろ"と訴えているように思えた。

f:id:journeyharuki:20180318210606j:plain海沿いに行くと崖に鎖が打ってあった。江戸時代から修行の場として使われていたそうだ。その鎖を使って断崖絶壁を上り下りして修行を行ったそうだ。

 

島を一周見て、拠点に戻った。とりあえず夜に備えて薪を集めよう。俺は慣れないナイフを使って木を切っていた。

なかなか木が固い。力を込めて木を真っ二つに!「オリャ!」

(グサッ)、、、え。。。

 

勢いあまって、なんと左手にナイフが刺さってしまった。噴水のように血が噴き出してきた。あまりの驚きに"痛い"という感情が出てこなかった

「やってしまった」(とりあえず落ち着いて、、止血しなければ)

急いで傷口を圧迫し、心臓より高い位置にする。それでも脈を打つように出血するので、流れ着いていたテニスボールを脇に挟み、左腕の動脈を抑える。(いやーー、やってしまった)

アウトドアの知識があるトッティーも、「ここまでの傷は手当てした事がない。」と言っていた。

「いい勉強になりますね。」と俺。驚きのあまり何かを悟ったかのように落ち着いていた。

f:id:journeyharuki:20180318205523j:plain

なんと無人島生活開始50分後の出来事であるもう船は出てしまったので帰れない。ここから4日間。過酷な無人島生活が始まったというか自ら過酷にしてしまった。この島での生活。どうなることやら、。続く。

f:id:journeyharuki:20180311225007j:plain

ちなみにこの写真は左手の傷を抑えながら、4日間どうしよう、と考えているところ。

‐無人島生活に憧れて‐

19歳になって間もなくの夏、世界一周をした旅人の先輩と2人で無人島生活に出掛けた。あれは高校の文化祭からちょうど1年後の事だった

同級生たちが母校の文化祭へ行こうと誘ってくれたのを、「今から無人島に渡るからごめんな。」と断ったのを覚えている。無人島へ渡る船の上で、(人生何が起こるかわからないなあ)なんて考えていた。

あの頃は大学生活を続けようか、やりたいことをやろうか迷っていた時だ。高校を卒業してすぐに日本一周に旅立った俺は、旅先の様々な出逢いや経験から、学生生活に沢山の疑問を抱いていた。

 

そんなタイミングで、日本一周をしていた時に福岡で出会った旅人の先輩に、来月無人島生活しない?と誘われてしまった。どうしようもなくワクワクしてしまって学校どころではなくなった。

旅なんかに出たら履歴書に傷がついて人生を棒に振るうことになると思っていた。それは周りにいた大人たちがそう教えてくれたから。

でもこのワクワクを抑えられなかった、というと嘘になるか。退屈していたし、刺激がほしかったし、迷いに迷って、とりあえずその退屈な環境から逃げ出したと言ったほうが近いかもしれない。

そんなこんなで一か月後には東京を旅立ち、お気に入りのバックパックを背負い、京都にいる先輩のもとを訪れた。

 

半年前に福岡を旅していた俺は、このお気に入りのバックパックを背負い、背中には大きく【ヒッチハイク日本一周】と書かれた看板を背負っていた。突然ツイッターで連絡をくれた彼のプロフィールには世界一周経験者との文字が書いてあった。面白そうなので会ってみることにした。逆にヒッチハイクをされたのである。

そして待ち合わせをして、博多の街で対面。彼は【トッティー】と名乗った。しばらく街を案内してもらいながら、旅に関する色んな話をした。その日の夜は彼の家で"世界一周帰国パーティー"を開くとの事で、出会って間もないがお邪魔させてもらうことにした。彼が見てきた世界中の景色や話にはワクワクが止まらなかった。旅人に憧れ、俺もいつか世界中を周りたいと思った。

福岡を出発するまでお世話になりっぱなしだった。彼は、「俺もヒッチハイクで日本中を旅していた時や世界中で出会った沢山の人に親切にされたが、その人たちに恩を返すことは難しい。だからその人たちから貰った恩を次出会う人たちに繋いでいるんだ。ハルキにもそうしてほしいね。」と話してくれた。

それから俺はまたヒッチハイクで九州を周り、四国、本州へと旅を進めていった。

 

そして今回は、ゆったりと新幹線の座席に座って京都に向かっている。以前ヒッチハイクをしていた場所を通り過ぎるたび「良いご身分になった」なんて思った。京都駅に着くとトッティーがバイクで迎えに来てくれてた。半年ぶりの再会だ。この日は彼のバイクで、京都観光に連れていってもらった。そして無人島生活への計画を立てた。

 

場所は和歌山県友ヶ島ラピュタのような風景としても知られている。普段は定期便が出ていて観光客で賑わうこの島。丁度その定期便が休みになる最終船で島に渡り、4日後船が再開するまで無人島になるので、そこで無人島生活を決行しよう決めた。これから始まる無人島生活に心躍らせていた。

 

f:id:journeyharuki:20180311223855j:plain

 

f:id:journeyharuki:20180311223921j:plain

 

本当に危ない時は逃げていい、死んだら終わりなんだ。

前回の記事【21歳の誕生日を迎えにキリマンジャロへ-がむしゃらに突っ込んで学んでいく。】の続き。

journeyharuki.hateblo.jp

 俺の場合、登山における目標は山頂に立つこと、その目標に向かって進んでいる。やるからには絶対に達成したい。どんなに辛くても、予想外の事が起きても必ず達成する気持ちで登っている。でも、本当に危ない時、身を守る為には下山する必要がある。こうゆう時に下山出来ない人がいる。この目標において、想いが強ければ強いほど、背負うものが重ければ重いほど、失敗はどうしても避けたくなる。もし失敗した時の責任を考えると、どうしても降りられない。


俺は今回、30人以上の人に20万円ものお金を出してもらってここにいる。皆の想いがある。皆の力で、一人の俺がキリマンジャロに来ることが出来た。達成する責任がある。ゴールは目の前、達成しない訳にはかない。
だから降りられない。俺はこんな状況で大切なのは
《逃げる勇気》だと思いました。言い訳にしか聞こえないかも知れませんが、本当にそう思った。
失敗した時の責任が恐いとか、皆になんて言われるかとか。恥ずかしくて、自分が情けなくなる。あんなにでかい事言ってたのに、失敗したら皆に会わす顔が無い。

命か山かの選択を迫られた時、「いっそ、このまま進んで死んだほうがましか。」とまで考えてしまっていた。そんな状況の中でふと、頭に浮かんだ質問がある。
『ハルキ、お前はここで、このまま死にたいのか?』そんな質問が頭に浮かんだ。


いや、、、俺は、、、!
「まだ死にたくない!俺はまだまだやりたい事が沢山ある!行きたい場所が沢山ある!キリマンジャロで命を落とすわけにはいかない!」
皆の想いとか責任とかどうでもいい!!(どうでもよくはないですが笑)俺はまだやりたい事がある!!キリマンジャロなんていつでも帰ってこれる!笑うなら笑え!そう思えた。

死の間際に行った時、最後に大事なのは『自分の気持ち』だと思った。他人にどうこう言われるとか、他人目線ではなく、自分がどうしたいのか。
キリマンジャロで命を落とす人と落とさない人がいる。想いが強ければ強いほど進み続けてしまう。降りる勇気なんてない。
《逃げる勇気》下山する時、悔しくて悔しくて涙が止まらない。だが、物語はまだ続く。死んだらそれが終わっちゃうんだ。
山は簡単に命を奪う。山だけの話ではなく、人は誰でもいつも死と隣り合わせだど思っている。みんな自分の山に登ってる。本当に危ないときは逃げていい。死んだらもう終わっちゃうから。生きてさえいればまた前に進めるから。

当時の記事-嶋津 晴暉 - 大敗北しました。何も出来なかった。... | Facebook

 f:id:journeyharuki:20171019155110j:image

旅に出てから、いつ死んでも後悔をしないように。生きてきたつもりだ。何か未知の世界にチャレンジする時はいつも死を覚悟していた。
だが今回、「山で死ぬ」となった時、普通に恐かった。死にたくないって思った。まだまだやりたい事が沢山あった。
いつも死の覚悟なんて出来てるって思ってたのにそれは偽物だった。後悔しない人生を生きてきたつもりだったが全然だった。
もっとやりたい事をやろうと決めた。好きなことに全力で生きようって決めた。遅かれ早かれ訪れる死。次はもっと素直に受け入れる。その時までをもっと生きよう。
f:id:journeyharuki:20171019155119j:image
富士山・いつも過酷なチャレンジをする時は、足が折れようが指が無くなろうが達成してやるって思ってやってきた。でもそれじゃダメだ。ちゃんと五体満足で帰ってくるのが条件。何となくそう思った。

f:id:journeyharuki:20171019155305j:image帰国後、東京日野市の古民家[ひらやまチベット]にてキリマンジャロ報告会をさせて頂きました!ありがとうございました😊

f:id:journeyharuki:20171019225428j:imagef:id:journeyharuki:20171019230222j:image

 

『旅を続けて』

・最初は一人だった。周りに旅人なんていなかったし、そんな存在すら知らなかった。でも進み続けたら少しづつ繋がっていって、世界一周経験者や海外放浪者たちが集まってきた。気が付けば周りには俺よりも遥かにぶっ飛んだ旅人たちが沢山いた。少し前までこんな人達がいるなんて知らなかった。やはり似た仲間が集まる。

f:id:journeyharuki:20171007233051j:imagef:id:journeyharuki:20171007233020j:image

周りに一人もいなかった〖旅人〗という肩書を貫いて。
ハルキ君は今何やってるの?という質問には必ず
「旅人やってます!」と言い続けた。そして二年間放浪した。気が付くと周りには旅人が沢山いた。

f:id:journeyharuki:20171007232526j:image

f:id:journeyharuki:20171007233425j:image

初めて海外に出て

・日本人はよく肩書きを気にする。何大学卒業、何会社の社員、英検何級、沢山の資格。沢山の肩書きを背負って、名刺に固く書いている。だが海外に出ると何も関係ない。何大学を出てようが、一流企業に勤めていようが、どんな資格を持っていようが関係ない。

大事なのは人間力なのだ。言葉も通じない、町にある文字は全て読めない。文化や常識も違う。そんな環境の中で、偉いも何も無い。目の前の言葉も通じない人に笑いかけて、ジェスチャーでコミュニケーションを取る。何とか宿を見つけたり、道を聞いたり。普段当たり前にしている買い物や、電車に乗るのも一苦労。どのバスがどこに行くかも分からない。

そんな環境で大事だったのはシンプルな、(人として)という原点だった。笑顔で話すこと、一緒に笑うこと、一緒に食べること、相手の目を見ること、相手を大切にすること、言葉ではなく心の部分で。そうすると、言葉は全く分からないけど、すごく仲良くなって、別れの時に涙してくれる人もいた。これは日本にいても大切だなと感じた。この、(人として)の部分を大切にしていきたい。

f:id:journeyharuki:20171007232446j:image

『旅に出て』

・旅は、自由でした。どこに行くのかも、どの道を歩くのかも自分次第。360度全部"道"。だから何が起きても自分次第。頼るものも無い、責任も自分。どこまでも自由で、ムカつくほど自分次第でした。

f:id:journeyharuki:20171007025255j:image


・普段あるはずのものが無い。

初めて日本一周に出たときは野宿生活でした。あるはずの壁が無い、屋根が無い。高校生の時は当たり前にあったご飯が無い。全部自分でやらなきゃいけない。当たり前の大切さを感じました。

f:id:journeyharuki:20171007025420j:image

・本当の自分。

旅をし始めた頃、よく〚いつもとは違う自分がいる〛ということを感じていた。日常と非日常があり、非日常を知るから日常を知れる。もしかしたら、普段の自分は〖周りの人や環境に合わせていた、作っていた自分〗だったのかも知れない。そして今旅に出ている。普段と変わった部分と変わらない部分がある。〖変わった部分〗は(環境によって作られていた自分)で、〖変わらない部分〗は(本当の自分)なのかもしれない。

f:id:journeyharuki:20171007025947j:image


・外見ばかりを気にする人が沢山いる。ブランド物で着飾って、周りにイケてる人を置いて、見え張っていつも綺麗に見せてる。〖大好きな自分をオシャレに飾る〗のとはまた違う。外ばかり気にしてないで、一度素っ裸になって自分を見つめてみよう。(本当の自分)になろう。外ばかり飾るのではなく、しっかりと中身の詰まった、人間になりたい。

f:id:journeyharuki:20171007025811j:image

どこまで行こうか。何をしようか。気の向くままに進む。それはとても自由で、とても辛く、寂しく。とても刺激的で、幸せで。温かい。
自分を変えてくれる、成長させてくれる。本気で生きてるって感じる。そんな旅。

-二年前の日記より-

f:id:journeyharuki:20171007025458j:image f:id:journeyharuki:20171007025937j:imagef:id:journeyharuki:20171007030302j:image

『旅に出た理由』自分の中にあった葛藤と決断

・小学生時代、迷子になりながら、不安の中に感じたワクワクしている自分がいることに気が付いた。 

journeyharuki.hateblo.jp

 ・中学生時代、自転車があればどこでも行ける気がしてた。地元から線路を辿って東京タワーまで行ったり、川を下って海まで出たりした。

journeyharuki.hateblo.jp

 ・高校時代、受験勉強や部活などの(やらなきゃいけないこと)で疲れ果て、遊ぶ事を忘れていた。そんな俺の遊び心を思い出させてくれた映画が〖LIFE〗でした。 

journeyharuki.hateblo.jp
・両親の(公務員になってほしい)という思いや、立派に働く兄の姿や、学校の先生や周りの友達との流れの中で、心の中にある「旅に出たい」という声を押し殺し、敷かれたレールを歩き、大学進学を考えていた。


・だが自分の中にある思いがどんどん膨らみ、その思いを両親や友達、先輩にも話したが、誰に話しても否定され続けた。
どんどん辛くなる一方で、毎日朝起きるのが嫌になっていた。自分の心の声と全く違う行動をしている体。行きたくもない場所に行き、やりたくもない事をやる。心はやりたい事を叫んでいるのに、、
周りのみんなは「考えすぎだ、それが人生だ。」と言う。お前は根性がない。続ける忍耐力もない。逃げようとするな。とたくさん言われた。

だが俺はこのままでは後悔すると知っていた。

だから俺は決意した。
俺には死を意識する出来事があった。中学2年の時に体育館の屋上から足を滑らせ落ちた事だ。病院には行かなかったが、尋常ではない痛みだっだし相当な怪我をしていたと思う。あの時死んでもおかしくは無かった。

恐怖はそれだけではなかった。高校2年生の国語の授業で、たまたま脊髄を怪我した少年の話を読んだ。彼は怪我をしてから3年ほどたったある日、突然、半身不随になった。一生歩けなくなった。
教科書の話だし本当のことか分からなかったけど、とても怖くなった。

もしあの時の衝撃で脊髄を怪我していたとしたら、、

俺もそろそろ朝起きたら突然、体が動かなくなるかもしれない、、そんな恐怖心がありました。 

もし突然体が動かなくなったとしたら??

俺はこのままでは絶対に後悔する。だったら自分の思うようにやってみよう。どうなるかなんて全く分からないしビジョンも何も見えていなかった。
「旅に出たい」と大人に相談すると[旅に出てどうする、どうやって食っていくんだ。今の時代に大学も出ないでどうすんだ。社会をなめるな]言われた。
友達からは〚逃げた。何が旅だ。現実逃避か〛と笑われた。
だが俺は自分の中にあるこの気持ちや感覚を信じたかった。とても恐かった。どうなるかなんて分からない。何も見えていない。ただこの心の声を信じたい。周りになんと言われようがやりたい。ここでやらなかったら絶対に後悔する。

そして俺は、敷かれたレールを歩くことをやめて、一人荒野を突き進み、自分で道を作っていく。

旅に出ました。f:id:journeyharuki:20171004235852j:imagef:id:journeyharuki:20171004235921j:imagef:id:journeyharuki:20171005000022j:imagef:id:journeyharuki:20171005000714j:imagef:id:journeyharuki:20171005002251j:imagef:id:journeyharuki:20171005002416j:imagef:id:journeyharuki:20171005002408j:image

 2年前の日記を読んでると本当に思う。沢山悩んでくれてありがとう。そして行動してくれてありがとう。

-21歳の誕生日を迎えにキリマンジャロへ-がむしゃらに突っ込んで学んでいく。

21歳の誕生日が近づき、今年はどこの山で誕生日を迎えようかと考えていた。何となく、キナバル山(4095m)より高いところに行ってみたいと思っていた。そこで思いついたのがキリマンジャロ

たぶん俺がそこまで山好きでもなかったから、高い山と言ったら有名なキリマンジャロぐらいしか思いつかなかったんだろう。
このチャレンジを思いついた時、全員に〚無理だ、そんなの出来るわけない〛と言われるだろう。と思ったが、みんな「いいね!いってらっしゃい!!」だった。(お前ならキリマンジャロぐらい行けるだろ、パパッと行って帰ってこい。)と言われた。〚なんかみんなの反応もずいぶん変わったなあ〛と思った。もしかしたら、本当にいけるのかな?と一番疑っていたのは俺だったかもしれない。

俺は今回、初めて自分が思いついたチャレンジに失敗した。今まで通り、パパッと達成して次の更に高い山に登ると思っていた。

失敗の原因は何だったんだろう。目標が今の俺には高すぎたか?自分が100%信じてやれなかったのか。5895mという未知の世界にビビッていたんだろう。でもそれは今までも同じ、いつも未知の世界へのチャレンジだった。
帰国してしばらくはショックで色んなことを考えたけど、今思う、目標もどこでもいい。結果もどっちでもいい。
失敗したら前に進めないんじゃない。失敗しても成功しても、経験してる時点で同じぐらい前に進んでるんだ。俺は今回チャレンジに成功できなかったけど、帰国後既に、想像もつかなかった世界に行こうとしてる。講演会や様々なメディアへの出演も始まっている。
俺は失敗したことで、足止めを食らったと思った。成功していたら前に進めるけど、失敗したらここで止まってしまうと思っていた。だけどそれは違った。俺は前に進み続けていた。経験したことで、結果はどうあれ、チャレンジする前より俺に出来ることは増えていた。ちゃんと蓄積できていた。
今まで、やりたい事を思いついて、達成して。次の目標を見つけて、また達成して。だった。でも今回初めて、やりたい事を思いついて、失敗した。でも同じ。次の目標を見つけて、またチャレンジしていく。だから《失敗も前進》なんだな。と学んだ。経験すること、チャレンジする時点で過去の自分より進んでる。
[最初から月を目指したっていい。もし届かなくても、他の星まで行けるから]
どこかの本で読んだ誰かの言葉。

f:id:journeyharuki:20171001003714j:image f:id:journeyharuki:20171001004121j:imagef:id:journeyharuki:20171001004403j:imagef:id:journeyharuki:20171001004217j:imagef:id:journeyharuki:20171001004228j:image

失敗を認めること・正直にいること。大丈夫、本気になってやってたことは必ず皆に伝わるから。それを知ってる仲間は責めてきたりはしないから。

今回失敗して一番驚いたことがある。それは皆がかけてくれた言葉で一番多かった言葉が〖ありがとう〗だったこと。俺にはそれがなぜか分からなかった。ただその言葉を聞いて涙が出て、心から、生きててよかった。って思った。

f:id:journeyharuki:20171001003400j:image